2011年9月30日金曜日

H23/9/30

「何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂へ」 (閑吟集) 
※「閑吟集」…歌謡集。1巻。編者未詳。1518年(永正15)成る。室町時代の小歌(こうた)集で、当代の歌謡311首を収める。
()何になろう、まじめくさってみたところで。所詮、人生は夢よ。ただ面白、おかしく遊び暮らせ。

H23/9/22

「美女打ち見れば、一本葛(ひともとかづら)へも成りなばやとぞ思ふ 本より末まで縒らればや、切るとも刻むとも、離れ難きは我が宿世」 (「梁塵秘抄」、後白河法皇撰) 
※愛欲賛歌。実に大らかなものだ。今なら変態と呼ばれかねないね。
()美女を見ると、一本の蔦葛にもなりたいと思うよ。根元から蔓の先まですっかり縒り合わせられたいことだ。たとえこの身が切られても刻まれても、美女から離れがたいのは私の宿命というものよ。

2011年9月12日月曜日

H23/9/12

「我を頼めて来ぬ男、角三つ生ひたる鬼になれ、さて人に疎まれよ、霜雪霰降る水田の鳥となれ、さて足冷かれ、池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け」 (「梁塵秘抄」、後白河法皇撰) ※「梁塵秘抄」は平安末期の歌謡集。恋人に裏切られた女の恨み節といったところか。昔も今も変わらないが、昔の感情表現は今より激しく直接的だ。

2011年9月3日土曜日

H23/8/23

「遊びをせんとや生(うま)れけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそゆるがるれ。」 (「梁塵秘抄」、後白河法皇撰) ※「梁塵秘抄」は平安末期の歌謡集。そのなかでも有名な歌だが、遊女の歌とする説、童心への憧れとする説など諸説ある。

H23/8/14

「人を欺かざる者は、人も亦敢て欺かず。人を欺く者は、卻(かえ)って人の欺く所と為る。」 (「言志晩録」、佐藤一斎) ※昔も今も変わらぬ人間関係の基本です。

H23/7/31

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。」 (「言志晩録」、佐藤一斎) ※含蓄のある言葉です。「言志四録」全4巻のなかでもこの第3巻目は充実していると思う。ちなみに、西郷隆盛の抄録101条のうちこの巻からは計29条が選ばれている。

H23/7/24

「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」 (會津藩校日新館「什の掟」) ※「ならぬことはならぬものです」で締めくくられる「什の掟」の四番目にくる言葉です。昔からよく使われた「卑怯」という言葉、なぜか最近聞かれなくなったように感じています。連日のように「卑怯」な振舞いによる事柄が報道されているのに不思議です。

H23/7/18

「六中観-忙中閑あり、苦中楽有り、死中活有り、壺中天有り、意中人有り、腹中書有り」 (安岡正篤) ※氏は陽明学者で知られているが、人間いかに生きるべきかを追求した教育者・指導者だろうと思う。

H23/7/13

「泣くも一生、笑うも一生、ならば今生泣くまいぞ」 (TBS 日曜劇場「JIN-仁-」) ※死に行く花魁の夕霧が、後輩花魁の野風に話した言葉。いい言葉ですね。高視聴率のドラマだったのでご記憶の方も多いでしょう。テレビ版は原作コミックとは相当に違っていますが、いい意味での違いで結末まで持ち込みましたね。

H23/7/9

「それにしても、最近は日本特有の情念や感性がだんだん希薄になってきた気がしますね。日本人の基礎的な教養が損なわれてきたというか、日本人独特の感性もあまり必要とされないし、それを伝える手段も教科書もない。何だか怖いですね。いまや画一的な日本人ばかりでいかにも虚しい気もする。」 (文藝春秋20118月号特別対談(藤原正彦氏と)、石原慎太郎) 

H23/6/29

「克己の工夫は一呼吸の間に在り。」 (「言志後録」、佐藤一斎) ※今、この瞬間の気持ちの持ちようが肝心ということか。

H23/6/22

「酒は穀気の精なり。微(すこ)しく飲めば以て生を養う可し。」 (「言志録」、佐藤一斎) ※昔の人はいいことを言う。そのとおり、なのだが・・・。

H23/6/18

強くなければ生きられない。優しくなければ生きる資格がない (レイモンド・チャンドラー) ※あまりにも有名な言葉です。今日TV「相棒」の再放送で杉下右京も言っていました。

H23/6/12

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 (江國 ) ※文芸春秋H23/7「こんな辞世を詠んで見たい」から

H23/6/6

「助からないと思っても助かっている」 (「勝負のこころ」、大山康晴)

H23/6/1

「人而無信、不知其可也(人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり。)(論語、孔子)
世の中は信頼関係で成り立っている。人を裏切ればアッという間に信頼は崩れ去る。(私訳)

H23/5/25

「母語は道具ではない、精神そのものである。」 (「日本語教室」、井上ひさし)

2011年9月2日金曜日

H23/5/18

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。」 (「文字逍遥」、白川静)

H23/5/15

「日本人がみずからの文字についての観察を放棄し、思考を失うときが来れば、また、過去から続く営為をふり返ることもしなければ、的確な選択も創意工夫もなされなくなり、日本の漢字は過去の遺産となるしかないのであろう。」 (「日本の漢字」(岩波新書)、笹原宏之)
結びの文章として、危機感を感じさせる強いことばである。同書の後書きでは「私は資料を開くごとに、何かを見るごとに、自分がいかに無知であるかを思い知らされている。」と述べる謙虚な先生であるゆえに印象に残る。